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写真:山本哲也 文:倉石綾子

安心で安全な素材を用いて、地球環境にも配慮したアイスクリームをつくる〈ベン&ジェリーズ〉。
持続可能な仕組みをアイスクリームづくりに取り入れる彼らの活動を深く知るために、
アメリカ・バーモントにある本社を訪ねた。

REPORT

サステナブルなアイスクリームブランド
〈ベン&ジェリーズ〉が生まれるまで。[前編]

ロングアイランドに生まれた2人の少年、ベン・コーエンとジェリー・グリーンフィールドは中学生の時からの幼なじみ。走ることが苦手で食べることが大好きだった2人は体育の授業で意気投合、それ以来のつきあいだ。

1978年、医学部受験に2度失敗したジェリーと、いくつものアルバイト先でクビを言い渡され続けてきたベンは、親友と2人で楽しみながら働く方法を考えていた。思いついたのは、大好きなアイスクリームをビジネスにすること。2人は5ドル払って通信講座でアイスクリーム作りを学び、なけなしの8000ドルを持ってバーモント州バーリントンへやってきた。バーリントンには若者がたくさん住んでいて、全米で唯一、アイスクリーム屋のない土地だったから。

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▲ベンとジェリーがアイスクリーム販売車として愛用していた、フォルクスワーゲン・タイプ2。サイケデリックなペイティングを施したデリバリーカーはどこでも大人気だった。

バーリントンのガソリンスタンドの跡地で開いたアイスクリーム屋〈ベン&ジェリーズ〉は個性的なネーミングのユニークなフレーバーを揃え、バーリントン中の若者の心を捉えた。リッチでクリーミーなバニラアイスクリーム、歯ごたえのあるプレッツェル、とろけるチョコレートファッジ。

アイスクリームは好きだけれど経営は苦手、そんな2人の合い言葉は「楽しくなければ、やる意味がないよ」。その当時、ビジネスとは「経営者のための利益を生み出すマシーン」と考えられていたけれど、ヒッピームーブメント全盛の60年代に青春時代を謳歌した2人は、この考えにどうしても馴染めなかった。自分たちが目指すのは、「小さくてもいい、地域に根ざし、地元コミュニティとつながっている、そんなアイスクリームショップだ!」

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▲現在はベン&ジェリーズの経営から離れ、反GMO(遺伝子組み換え食品)など数多くの活動に携わっているジェリー。

「ヒッピーは小汚くて働かない怠け者とも言われるし、隣人を愛する平和主義者ともいえる。僕たちはよく『ヒッピー企業家』なんて揶揄されたけれど、自分たちにとってそれは褒め言葉だったね」と、ジェリーは当時を回想する。

何事もそうだが、ビジネスだって始めるのは簡単だ。当初、自分たちが考案した新しいアイスクリームフレーバーで誰かを喜ばすことができるのは大きな歓びだったが、ビジネスが2年目を迎え、やがて卸し売りをスタートし、さらにフランチャイズ店をオープンする段になると外部からの圧力は堪え難いほどになっていく。

「他のビジネスマンと同じようにすることを望まれた。ヒゲを剃ってスーツを着て、利益をもたらす機械になれってね。だから当時はいつも何かしらと闘っていたよ。社会の中で自分たちのビジネスがどんな影響をもたらしうるのか、そのために何をすべきか見出せなくて、『自分たちはもう十分やった。そろそろ潮時だ』って、何度もビジネスから手を引こうと考えた」

そもそも、自分たちにとってのビジネスとは一体、どうあるべきなのか。内省の時を経て、1982年頃からベンとジェリーの目的はより明確になってくる。
「つまりは、アイスクリームで世の中を楽しく、より良くすることを考えよう、ってことだ。ベンと僕は、利益を追求するだけのものではなく、社会発展に役立つコミュニティ主導のビジネススタイルが、自分たちなりの答えなんじゃないかってことに行き着いた」

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▲写真左:ダウンタウンの一角にある〈ベン&ジェリーズ〉のスクープショップ。目の前の通りはその名も、チェリー・ガルシア・ストリート。右:大人も子どもも、〈ベン&ジェリーズ〉が大好き!

ここに〈ベン&ジェリーズ〉の3つのミッションが生まれる。安心、安全の選りすぐった素材を使い、地球環境にも配慮したアイスクリームを製造、販売し続けること。企業として安定した利益を生み出し、社員やコミュニティの成熟に力を注ぐこと。企業の社会的責任を認め、社会問題、環境問題にコミットすること。また、企業から慈善事業への寄付を永続的なものとするためにベン&ジェリーズ財団も立ち上げた。〈ベン&ジェリーズ〉に携わる全ての人々−−社員、株主はもちろん、原料を供給する生産者、地元コミュニティ、そしてアイスクリームを口にするすべての人々−−が共栄共存できる社会を目指して。その後40年も続くことになる「価値主導」のビジネスモデルの誕生である。彼らが社会企業家の先駆者といわれるゆえんだ。

「1984年には地元民に増資を公募した。新しい工場建設の資金を募るためにね。新しい工場ができたおかげで、アメリカで製造されるアイスクリームに使う牛乳全てをバーモントの酪農家から長期的に購入できるようになったんだよ」
地元コミュニティとのつながりを重視する〈ベン&ジェリーズ〉にとって、これは大きな転換点となった。現在も牛乳の供給先である酪農家とは強いパートナーシップを結んでいる。

たとえば「ケアリング・デアリー」がある。これは環境に配慮しつつ持続可能な牧場経営をサポートする、〈ベン&ジェリーズ〉独自のプログラムのこと。「ケアリング・デアリー」に参加する酪農家には、牧場経営を改善するための11の指標が提示され、ベン&ジェリーズはその実践をサポートする。土壌の管理は適切か、生物多様性に配慮した牧場経営をおこなっているか、乳牛は十分に快適な環境で丁寧に飼育され、よい健康状態を保っているか。さらには牧場内での代替エネルギー利用の促進、排水のリサイクル技術、そして酪農による地元への雇用機会の創出......。持続可能な酪農とは、このように「幸せな農家、幸せな牛、幸せな地球」の3つのバランスを見極めることだと「ケアリング・デアリー」では考えている。

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▲写真左上:バーリントン郊外にあるバーントランド牧場。右上:搾乳作業中のティナ。この道16年、一日に5000リットルの牛乳を生産する。左下:ほとんどの牧場では人口の餌を与えるが、ここは天然ものだけを与えている。右下:生まれたばかりの子牛は大切に育てられ、ある程度の大きさになると成牛の厩舎に移される。

ティナ・バーントランドはバーリントン郊外で酪農を営んでいる「バーントランド牧場」の2代目。現在はおよそ750エイカーの敷地で220頭を飼育する、家族経営の牧場だ。ティナらバーントランド家はサステイナブルな牧場経営のあり方を追求すべく、2005年から「ケアリング・デアリー」に参加している。バーントランド牧場のこだわりは、手をかけて自ら栽培した穀物を牛の状態に合わせ配合し、給餌していること。飼料となるのは上質な牧草やトウモロコシ、それに大豆や「糖分を加えたら発酵してビールになるよ」と牧場のスタッフが胸を張るほど高品質なモルトなどの穀類。それらを牛たちが消化しやすい大きさに砕いて与えている。飼料の配合は栄養士が指示しているそうで、気候や成育状況にしたがって配合を変えるほど。

また、牛たちの排泄物をエネルギー源に変えて施設内で再利用するなど、ティナは常に新しいことにチャレンジしている。
「『ケアリング・デアリー』に参加すると年に2回、牛たちの飼育環境や牧場の経営状態、〈ベン&ジェリーズ〉のリクエストに応えられるかどうかなど、細かな審査が行われます。すべてを一定以上に維持するのは大変なことだけれど、『ケアリング・デアリー』は私たちにとってもよりよい酪農家への一歩を踏み出すチャンスだから」

「バーリントンにはティナのようにチャレンジングな酪農家や農家がたくさんいて、それぞれが日々、自分たちにできる最良の方法を試行錯誤しているんです」
そう教えてくれたのは、〈ベン&ジェリーズ〉社内で「ケアリング・デアリー」を統括するゲイブ・クラーク。
「それぞれの牧場に自分たちなりのアクションプランを開発してもらい、僕たちはそれを実践するための支援を行っています。こうして役割分担をしながら長続きする生産体制を作っていき、引いては家族経営の牧場や地域コミュニティの経済をサポートする。これが『ケアリング・デアリー』の試みなんです」

こうした革新的な試みは酪農家たちだけに対して行われるものではない。〈ベン&ジェリーズ〉社内ではいくつかのプロジェクトが常に同時進行している。後編ではソーシャルミッション部門のマネージャーを務めるクリス・ミラーのナビゲートで、〈ベン&ジェリーズ〉が押し進める社会問題への取り組み、企業理念に基づくコミュニティ活動をご紹介しよう。

※ [後編]はこちらから

INFORMATION

BEN&JERRY'S

1978年にアメリカ・バーモント州で創業したプレミアムアイスクリームのブランド。現在は世界35カ国で展開され、日本には「表参道ヒルズ店」「コピス吉祥寺店」「ららぽーと豊洲店」「舞浜イクスピアリ店」の4店舗がある。また2014年3月17日からは、関東エリアの高級食料品店など約150店舗でミニカップアイスクリームの販売も開始。店舗では6月20日より、日本限定フレーバー「パッショナブル パイナップル」を発売する。benjerry.jp