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ART for the Earth No.23 「反重力」展

編集・文:上條桂子 写真:江原隆司

REPORT

ART for the Earth No.23 「反重力」展

「反重力」という言葉を聞いた時に、どんな光景を思い浮かべるだろうか。私は真っ先に「ドラえもん」を思い浮かべてしまった。ドラえもんの足は反重力機能によって地面から3ミリ宙に浮いているから靴を履かなくても汚れない、とされている。そうか、普通だったら重力があるので地面に足がついてしまうところだが、さすがのドラえもんは重力すら操れるのだ。確か、タケコプターも反重力場を発生させ、人が宙に浮くことができる道具だったような。

「反」重力とは、言葉通り私たちが日頃疑いもしない「重力」の力を無効にしたり、調節したりすることができる力のことを差す。先のドラえもんの例を見てもわかる通り、現実世界にはそうした力はないとされ、SFや物語、想像の世界の言葉である。しかし、「反重力」があったら世の中はどうなっていくのだろうか......。

昨年秋、この「反重力(Antigravity)」をテーマにした展覧会が豊田市美術館で開催された。展覧会では「身体から解放されるような軽やかな空間性を感じ、世界を巨視的な視点で眺めて地上の価値観から離れ、宇宙的な視野を持つことを目指します。」というコンセプトを掲げ、理論うんぬんはさておき、重力や時間、空間、身体といった既成の枠から解き放たれるような作品が並んだ。

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《ビヨンド・ザ・ファンズ》は、リトアニアの作家ジルヴィナス・ケンピナスの作品。ふよふよふよと2本の磁気テープが宙に浮きながら、くるくると回っている。タネも仕掛けもない、というか目の前にある。手前の2台の扇風機が起こす風でテープは宙に浮き、回転をしているのだ。なあんだと思う方もいるかもしれないが、これが実際に見てみると不思議でしようがない。目には見えないけれど確実にある風の力を使ってとどまることなく宙に浮く、動く彫刻。見ているとなんだか身体感覚が狂わせられてしまう、そんな作品であった。

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エルネスト・ネトが作る《私たちという神殿、小さな女神から、世界そして生命が芽吹く》は、身体を使って感じる作品だ。洋服と建築の中間のような、と言えばわかりやすいだろうか。薄く柔らかく、伸縮性のある布地を使って作られた空間は、大きな何かに護られている“巣”のような場所だ。

ガストン・バシュラール『空間の詩学』の中で「巣は──われわれはこの事実をただちに理解するが──不安定であるが、しかし巣はわれわれのこころのなかに安全の夢想をよびおこす」と述べており、巣を見ることによってわたしたちは「ある種の素朴な態度で、鳥の本能を追体験するのだ」としている。ネトの空間の中にいる感覚に近い。そう、ネトが作り出す空間は、貝殻や建築のような強固なものではなくフラジャイルである。内と外は薄い被膜で遮られているだけで、光を透かし、空気も容易に通り抜ける。外側から何か圧力が加えられれば、たちまちに巣は壊れてしまうかもしれない。しかし、内側にいる私たちはそんなことを夢とも思わず、微細な光のグラデーションの中で母の胎内にいるような安らかな気持ちになれるのだ。

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建築家の中村竜治が手がける《ダンス》は、マチスの絵に着想を得ている。背景は青と緑、その中で褐色の五人の女性が手をつなぎ輪になって舞っている有名な絵である。この絵を見て中村氏は「空間や力のバランスを感じる絵である」(本展カタログより)と述べている。バレエダンサーなどがダンスをすることを「抗いがたい圧倒的な重力の存在を感じ、重力と肉体のぎりぎりの緊張関係の中に軽さや自由さや美しさを見いだしているのだと思う」(同)という。

中村氏が提示したダンスは、0.1~0.75mmというピアノ線を用いて、直径104mmの輪を22,464個つなげたもの。空間は驚きと緊張感に満ちていた。消え入りそうなひとつひとつの輪は、存在すら危うくも見えるが、互いに手を取り連なることで重力と拮抗しながら、確かに空間に自立している。

無重力空間であれば、体重の増減に一喜一憂することもないが、普段私たちは否が応でも重力を感じて生きている。しかし人は古くから神に祈りをささげるために踊ってきた。舞踊の回転運動は神との合一を表すとも言われている、回転はすなわち、重力を揺るがすことである。人だけではない、建築もそうだ。重力がなければ建物は建たない。中村氏は当たり前のものとして存在する「重力」について、もしもなかったらと想像を巡らすのではなく、真っ向から取り組んでいる。

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シモーヌ・ヴュイユは『重力と恩寵』の中で「魂の本性的なうごきはすべて物体の重力の法則に類似した法則によって支配されている。恩寵だけは例外である。」と述べている。「恩寵」とは、超自然、神からのいつくしみや慈悲を意味する。内藤礼の作品にも同じタイトルのものがある。内藤氏は、ビーズやリボン、オーガンジーといった非常にはかなく繊細な素材を用いて、その空間全体にある「気」のようなものを感じさせるインスタレーションをする。本展では、天井の高い広い空間に、物体としてあるのは、小さな木彫りの人形とロウソク、小さな紙片、そしてテグスで吊られたビーズのみ。一見がらーんとした空間だが、静謐な、そして喜ばしい空気に充ち満ちていた。丸い小さな紙片には、「おいで」という文字。その紙片は、人がこの世に生まれ地上に降り立ったときの大きさなのだという。ごくごくささやかな装置によって、人が生まれて、死に、炎と共にまた立ち上って、再度この世にやってくる輪廻を考えさせられる。光に包まれたその空間の中には、粒子とか原子とかそういうことではなく確かに何か(それが重力なのかもしれないが)が「いる」、そんな感じがした。

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中谷芙二子は霧を発生させるインスタレーション《Fog Sculpture #47636 “風の記憶”》で、谷口吉生が設計した豊田市美術館の人工池の姿を変容させる。#47636というのは、この場所に最も近い気象観測所の国際コードだそうだ。中谷氏は常々自身の作品について「場所との対話が重要である」と述べている。ノズルから噴出させる水霧は、発生装置は人工的なものかもしれないが、自然からの影響を多分に受ける。むしろ、自然とコラボレーションをすること自体が作品なのだ。中谷氏は、その場の風を読み、場と対話をして、その場にふさわしい霧をそっと差し出す。撮影をした秋の某日は、非常に強い風が吹く日であった。しかし、霧はすっと風が止んだ瞬間に池を覆い尽くし、私たちの目の前をホワイトアウトさせた。そして、ひゅうっと風が吹くとたちまち空気中に、文字通り雲散霧消してしまう。霧に包まれた時の心地いいようなちょっと怖いような身体感覚、霧が晴れた時に目の前に広がる空間はそれまでの感じとどこか違う。風の流れに乗り、光の姿を露にする「霧」。霧を見ているようで、私たちは普段見ることのできない、風や光の姿を見ているのかもしれない。

「反重力」という言葉は私たちにさまざまな想像力を与えてくれる。SFに詳しくない人だって、『銀河鉄道999』で宙に浮く列車、『バックトゥ・ザ・フューチャー』で登場するタイムマシンや空飛ぶスケートボード、『時をかける少女』のタイムリープする主人公(すみません、全部たとえが古い。最近だと何だろう、『四畳半神話体系』や『魔法少女まどか☆マギカ』でしょうか)などを見てドキドキした記憶はないだろうか。

日常からの飛躍を可能にする、未知なる力「反重力」は、何も規制を加えることなく自由に思考を巡らせるきっかけを与えてくれた。そして、想像の世界から宇宙を大回りして、再び地球や自分の身体のことを考えるきっかけになるものであった。

INFORMATION

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「反重力」展

会場:豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)
会期:2013年9月14日~12月24日(終了しました)
www.museum.toyota.aichi.jp

『反重力 Antigravity』
監修:豊田市美術館監修 
青幻舎|¥2940