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絵本のチカラ 谷川俊太郎×内田也哉子

写真:阿部 健 構成・文:藪下佳代

REPORT

絵本のチカラ 谷川俊太郎×内田也哉子

現在、ちひろ美術館・東京で1月29日(日)まで開催している「谷川俊太郎と絵本の仲間たち―堀内誠一・長新太・和田誠ー」展。翻訳を含む絵本の世界で長年にわたり、国内外のさまざまな画家・写真家たちとともに絵本をつくってきた谷川さん。自身にとって「特別な存在だった」という3人のイラストレーターによる貴重な原画を、谷川さんの書き下ろしコメントで楽しむことができる展覧会になっています。そして、この展覧会に合わせて開催されたのが、谷川俊太郎さんと内田也哉子さんのトークショーでした。エココロ最新号60号の本誌の76ページでは、そのトークの模様を収録。さらに今回、エココロ本誌では掲載できなかったこぼれ話をまとめて掲載いたします!

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小さい頃から、そして今も絵本が大好きだという也哉子さん。その中でも一番好きだったという絵本がありました。その絵本を谷川さんが訳しており、また、谷川さん自身も「他の誰でもなく自分で訳したい!」と切望したといいます。2人をそれほどまでに魅了した作品とは、ウージェーヌ・イヨネスコ『ジョゼットねむたいパパにおはなしをせがむ』でした。

内田也哉子(以下、内田)谷川さんがこの本に出会うきっかけはなんだったんですか?

谷川俊太郎(以下、谷川)どこで出会ったのか覚えてないんだけど、とにかくこれは絶対訳したいと思ったんですよ。そうしたらたまたま角川書店の人が「訳しませんか?」と持ってきてくれたんです。これは運命でしたね。ウージェーヌ・イヨネスコは劇作家でもあったんだけど、日本でその芝居を見たりしていて好きでした。当時としてはなかなかない作風で、前衛的っていうのかな。日本の絵本の世界って長い間、わりと教訓的な話や甘ったるい話が多かったんだけど、こんなことを書く絵本作家っていなかったですから。本当にこの本にはびっくりしました。

内田 この絵本の続編に『ジョゼットかべあけてみみであるく』という作品があるんですが、主人公のジョゼットのお父さんが、またでたらめばかりいうんです。電話で話しているとジョゼットが「お父さん電話で話してるの」って言うと「これは電話じゃないよチーズと言うんだ」と(笑)。そこから始まって全部言葉がでたらめなんですね。壁がドアだし、足は耳だし、ていう風にひたすら教えていくんです。でもお父さんは大真面目なんですよね。

谷川 でたらめ言うのも大変なんですよ。

内田 そうなんですね(笑)。

谷川 ナンセンスの絵本を作る時、絵が先にある場合があるんですけど、絵を自由に描く、わりと今アバンギャルドな絵描きさんっているでしょ。そうなるともう訳がわからない絵が出てくる時があるわけですよ。それに言葉つけるのってね、結構大変なんです。理屈じゃつけられないから。

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写真上:絵本の朗読も行われました。『ジョゼットねむたいパパにおはなしをせがむ』を読む谷川さん。現在、この絵本は絶版とのこと。

幼少の頃、谷川さんの作品や訳に慣れ親しんだという也哉子さんは、ご自身でも絵本の翻訳をされています。その初めての翻訳絵本はマーガレット・ワイズ・ブラウン『たいせつなこと』でした。絵本特有のシンプルな言葉の中に含まれる意味や行間をどう訳すか?おふたりそれぞれの見解に、言葉との向き合い方が見えてきます。

谷川 イヨネスコの絵本以外にも好きなのって他にありました?

内田 いやこればかりヘビーローテーションで。あと子どもたちには、ジョン・バーニンガムの本とかよく読みますね。でも谷川さんの訳している本も多いかも。ゴフスタインとか、レオ・レオニやスヌーピーもそう。あとは、画集であったりとか。

谷川 誰の?

内田 横尾忠則さんとか、ピカソ、コクトー、ポール・クレーなどもそうですし、小さい頃、わりと家の中にいろいろな本があって。絵や写真が好きなんですよね。ビジュアルから入って、そこに添えられた言葉でまた遊んでいくっていうのがとっても好きです。大人になってからアメリカの本屋さんで見つけたのが、『たいせつなこと』っていうマーガレット・ワイズ・ブラウンの本なんですけど。これはとってもシンプルだけど、味わい深い本で。もう60年以上も前の作品なんですが、絵も本当に素敵で。この本が「好きだ、好きだ」と言っていたら、まだ日本では翻訳されていなかったので「訳してみませんか?」とお話を頂いて。それがお仕事として絵本の世界に足を入れさせていただいたきっかけなんです。

谷川 その絵本の翻訳が初めて? 翻訳してみてどうでした?

内田 私は翻訳の専門家ではないからかもしれませんが、おまかせいただいたという時点で、その人なりの解釈で翻訳していいのではないかと思っていて。もちろん、編集の方、第三者の目で見て、成立するかどうかっていうやりとりはあります。『たいせつなこと』の中に、「りんごはまるい」っていう表現が何度か出てくるんですが、はじめはシンプルに「りんごはまるい」と訳し、最後にもう一度出てくる箇所では、「たっぷり まるい」と訳しました。余計な解釈かもしれませんが、その時はどうしても「たっぷり」が私の中の着地点だったんですね。 また時間が経つと、他の方が訳したりしますよね? ひとつの絵本でも、いろんな解釈があると思うので、それを楽しんで頂けたら。もちろん、悩むことも多いですけど、その人だからこそ出てきた翻訳のおもしろみってことでいいんじゃないかなと思っています。

谷川 僕はね、辞書的な対応をしないようにといつも考えていますね。「Blue」に対して「青」って、辞書を引くと出てきますね。日本人が「青」という言葉から日本語で連想する感覚と、英語を話す人たちにとっての「Blue」で感じるものっていうのはぜんぜん違う。翻訳っていうのは基本的にそのことを押さえておけば、全然違う言葉をあてはめても仕方がないと思っています。それを、感じたひとつのきっかけが、日本では校正する時、「赤を入れる」と言うけれど、海外では「青を入れる」って言うんですって。それだけでも、「赤」と「青」の感覚の差っていうのがありますよね。それから「青」っていうのは向こうでは、「地獄の炎」のイメージがあったりするらしいんだけど、日本はどっちかというと「海」とか「空」とか明るいイメージを連想しますが、向こうはそれだけじゃないみたいなんですよね。そういうことを考え出したら、翻訳は不可能ということになってしまいますから。とにかく、辞書的な対応を基本に置きながら、文脈の中で、一番合う言葉を探す。それを自分が探し当てた時に、他者がどう思うかってことがすごい大事なんですね。“他者”って言っても、自分の中の“他人”ね。自分の中に他人がいるってことはとても大事だと思います。翻訳に限らずね。

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絵本や言葉についてだけでなく、プライベートなお話もしてくれたおふたり。谷川さん、也哉子さんの結婚観、恋愛観にまで話がおよびました。

内田 谷川さんといえば、恋多き男性ですよね。

谷川 よくそう言われるんだけど、自分は恋をしたかどうかすごく疑問なんですよ。

内田 と言いますと?

谷川 “愛”なんですよ。

内田 “愛”を求めた?

谷川 一人っ子でしょ? 母親の愛を存分に受けて育ったんですね。だから愛がいちばん大事だと思ってるわけです。恋っていうのは相手の人がいないと寂しいとか、強力な気持ちがあるのが恋でしょ?なんかそういう強い気持ちがあんまりないみたいなんですね。だから仕事と同じで、注文されないと恋しないんじゃないかと思うくらい。声かけられた恋っていうのは結構あるんですけどね(笑)。自分からはあんまりないような気がしています。

内田 でも、きっかけは愛にも必要ですよね?

谷川 そうです、そうです。その時はなんか恋したっていう自覚はあんまりなくてね。だんだん小さかった気持ちが、だんだん高まっていくと結婚になる気がするんですね。どうですか?

内田 その通りだと思いますね。

谷川 高まってます?

内田 だといいですね。でも17年目って長いですよね。

谷川 うん、長いですね。

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内田 紆余曲折ありました。きっと誰でもそうだと思うんです、他人同士が一緒に暮らすっていうことは。

谷川 例えば、パイを作る時、何度も何度も押したりのばしたりするじゃないですか。結婚ってそういうもんだと思うんですね。重ねて押して、生地に粘りが出てきて、焼いたらおいしいみたいな(笑)。

内田 もっと若い時は本当につまらないことで敏感に反応して、いちいち喧嘩売って、向こうは売ってないのに買ったりして。そうやってぶつかってきたんですけど、子どもができたことによって、そういうことも少なくなってきた。そうしてだんだん家庭ができあがってきたというか。それが愛なのかもしれないですね。

谷川 愛ってそんなに言葉で「こうこうだ」っていうものじゃなくって、言葉を超えて存在するほうが本当のような気がするね。

内田 でも、女性はそれでは足りない!って、そう言われませんでした?

谷川 ええ、言葉にしろ、表現しろって言われましたね。

内田 空気みたいにあるものが愛だとしたら、それをもっとちゃんと捉えたいっていうか。

谷川 そうだね、僕はそれが仕事だから。

内田 ちゃんと表現できたんですか?

谷川 年を取ってきてからのほうができたみたい。若い頃は恥ずかしかったけれど、年を取ってくるほうが自然にそういうことが言えるようになりますね。恥知らずになる、ってことなのかな(笑)。

内田 最近、私は、毎日毎日命が積み重なっていくということにあらためて気づくことが多いんです。今までも自分が生きていたわけだから、感じ取らないといけなかったんですけど、なかなか鈍感だった。3人目の子どもにして、そのことの意味というか、そのことのすばらしさ、さきほどの“肌触り”を感じて、日々、小さなことで感動していますね。

谷川 感動するということも少しずつ違ってきますね。若い時はぜんぜん感じなかったことでも、歳をとってすごく感じたりとかね。またその逆になることもある。命って不思議だなってつくづく思っています。成長なのか退化なのか、わかりませんけれどね(笑)。

也哉子さんの言う“肌触り”とは、哲学者の鶴見俊輔さんがおっしゃっていた"世界の肌触り"のこと。谷川さんは、言葉で意味づけや定義づけできない「ナンセンス」な世界のありようを、そう表現しています。それを感じた瞬間が、このトークショーの間にありました。『ジョゼットねむたいパパにおはなしをせがむ』を谷川さんが朗読していた時のこと。前に座っていた子どもが、ある場面で一人おもしろそうに笑っていました。大人たちは耳を傾け、ストーリーを追うことに必死です。お話はまだ途中。次はどうなる?と話の続きが気になっている大人と違い、その子どもはそんなことそっちのけで、「ジョゼット」の名前が繰り返されるたびに笑っていました。

そういえば、昔、自分もそうやって絵本を読んでいたことを思い出しました。言葉の響きやテンポ、読んでくれる親の声音におもしろがったり、時にこわがったり。もう一度そうやって読んでみたい。そう思いました。子どものように笑い声をあげながら。世界を肌で感じながら。