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エレンの植物のある暮らし

写真・文:yoyo. (VEGE しょくどう)

REPORT

エレンの植物のある暮らし

1990年代初期にパリで創刊された『Purple』。現代アート・ファッション・建築・文学などのクロスカルチャーを扱うそのインディペンデントマガジンの創始者として知られるエレン・フライスは、それ以降の時代に多大なる影響を与えてきました。エレンは、2008年に40年暮らしたパリを離れ、ポルトガルで数年過ごしたあと、2011年より家族とともにフランス南部の小さな村へ移り住むことに。それから、5年。彼女と古くから親交のある料理家、yoyo. が、自然に寄り添いながらも地に足の着いたエレンの暮らしをレポートします。

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エレンを訪ねて

2015年秋、私はフランス南東地方のサンタントナン・ノブル・ヴァルという小さな村に住むエレン・フライスを訪ねた。サンタントナンは、中世の趣きが色濃く残る一方で、持続可能な暮らしを求める移住者が世界各地から集まる国際的な村。緑豊かな美しいこの村で暮らすエレンと私は、なんと10年ぶりの再会だった。そんな時に風邪をひいた私のコンディションは最悪。「お茶を淹れてあげる」と、気を利かせた彼女が温かいハーブティーを作ってくれた。

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エレンは、哲学者の夫・ギヨームと4歳になる娘・クラリサの3人一家。穏やかに暮らすその家庭では、風邪薬や頭痛薬などの一般的な薬をほとんど飲まないそうだ。その代わり彼女が日々実践するのは、昔のお母さんのように、自ら森で採集した野草や、毎週日曜に開催されるマルシェで手に入れた摘みたてのハーブを乾燥させ、症状に併せて調合したお茶を飲むこと。エレンは、「いつでも飲めるように」と、残りのハーブティーを保温ポットに入れてくれた。

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そんなやさしさを顧みず、いっこうに治らない私の風邪。サンタントナンの村を出てしばらくするとしつこかった風邪も治まり、その冬は一度もぶり返すことがなかった。いつもの冬なら、何度となく風邪をひいてしまうのに。

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サンタントナンへの再訪

2016年春、サンタントナンへ2度目の訪問。秋には見かけなかった植物が芽吹き、摘み草が楽しくなる季節の到来。“植物博士エレン”に導かれるまま、自宅から車で5分ほどの国道と川に挟まれた原っぱを散策し、気づけば15種もの食用の野草を採集していた。

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夕暮れとともに帰宅し、収穫したばかりの野草を仕分け、ご飯の支度。日本では「イタイタグサ」とも呼ばれるイラクサの葉は、シソのような葉の表面にあるトゲに触れるとヒリヒリ痛むので、直接肌に触れないよう注意を払いながら、茹でて、潰し、ポタージュスープに。日本でもよく知られるオオバコ、コンフリー、ワレモコウ、タンポポ、そして、目にも美しいキバナノクリンザクラの新芽は天ぷらに。初めて試した、米粉とキビ粉に炭酸水を加えたグルテンフリーの衣は、見事サクサクに仕上がった。

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「お菓子が食べたい」とグズっていたエレンの娘・クラリサがパクっと頬張る、できたての天ぷら。クラリサと一緒に私もモリモリ。日本の山菜ほど個性の強くない野草だけど、ひとつひとつ味わってみると、植物それぞれの持つ特有な香りが口の中に広がった。その日食べきれなかった野草は、薬用のため乾燥棚へ。

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植物のある暮らし。それは、古くからその地に根ざした生活の知恵を受け継ぎ、実践していくこと。エレンらしいポエティックな美意識は、フランスの広大な自然に囲まれた小さな生活の中で、一層研ぎ澄まされているように感じた。

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4月、フランスから帰国すると、東京はすっかり春の色に染まっていた。あの原っぱを散策した時に見つけた草花が家の近くで咲いていたので、そのままそっと摘んで帰った。

PROFILE

yoyo. (ヨーヨー)/料理家、「VEGEG しょくどう」主宰。“たべることはいきること。おいしいやさいはみんなのいのちをつなぐ。”をテーマに掲げる根っからの野菜好き。南インドで完全菜食に出会ったことをきっかけに、2007年頃より野菜を中心としたご飯づくりを開始。実店舗のない「VEGE しょくどう」では「MOMATサマーフェス」「TOKYO ART BOOK FAIR」など、アート系イベントを中心に出店。食への興味趣くままに国内外を飛びまわる。