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アレハンドロ・ホドロフスキーと禅

21世紀の日本に暮らす「特定の宗教を持たない者」にとって、こんにち「禅」とはなにか?

禅宗の思想はよく知らなくても、「坐禅」が「煩悩の滅却」や「悟りの境地」のようなものを目的としているであろうことは、なんとなく知っている。また自分の内面と向きあう行為であろうことも、想像に難くない。しかし、そんな崇高な意識よりもとりいそぎ脳裏に浮かぶのは、日常生活から乖離した「非日常」感だ。

「非日常」。それは日常生活の中で鑑賞する「映画」や「マンガ」「小説」「音楽」などの創作物、場合によっては「飲食」や「旅行」のような生活行為や余暇活動にも、実は無意識的に投影される感覚ではないだろうか。それらは日常生活で蓄積された社会的ストレスから自己を解き放ち、気持ちに安静を与える。場合によっては、疲弊したものに新たな刺激や活気を授けてくれる。「日常」における 「非日常」とは、実のところけっして乖離しておらず、そんなシームレスな関係にあるのだ。

2014年5月某日。私はひょんなきっかけから「坐禅」を体験することとなった。偶然なのか運命的必然なのか、自宅から徒歩数分の世田谷区野沢龍雲寺にて、パリより新作映画のプロモーションのため、23年ぶりにアレハンドロ・ホドロフスキー監督が来日し、特別企画として100人坐禅が行われたのだ。

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※当日の模様は以下リンクよりご覧になれます。
▼「100人坐禅」ホドロフスキー 監督による説法、全文掲載
http://www.webdice.jp/dice/detail/4185/
▼ホドロフスキー監督「金と欲望」をテーマに説法「100人坐禅大会」映像公開
http://jp.vice.com/watch/6563

チリに生まれ育ち、パリへ渡ってアンドレ・ブルトンらによる前衛芸術に浸り、メキシコ経由で禅僧・高田慧穣と出会い、現在もパリ在住のホドロフスキー監督。会場に降り立った氏は想像していたよりも大柄で、黒いスーツに綺麗な白髪、血色の良い顔と澄んだ優しい瞳をしていた。御歳85歳とのことだがとてもそうは見えない。生命観に満ちた表情の持ち主で、説法は終始穏やかに、時に熱気を帯びつつもユーモラスに、溢れ出るエネルギーを放出し続けていた。

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ホドロフスキーは禅から得た感覚や思想を独自の解釈に昇華し、さらに神秘主義的なスパイスを交ぜ合わせ、名作「エル・トポ」や大問題作「ホーリーマウンテン」などの作品に込めてきた。また氏の語り口にもそんな思慮がすみずみまで響き渡っている。

説法の後は肝心の坐禅である。それは止静鐘の音を合図に静かに始まり、蓮華座を組んだ足の痛みが徐々に麻痺しつつ、なんとも贅沢な時間を過ごせているという雑念に加え、取材であるという使命感があった。が、時間とともにほぐれ、感覚が馴染みだしてきたところで終わってしまうようなひとときであった。ごく個人的に印象的だったのは終了直前と直後の静けさ、そしてそのまま感覚を研ぎ澄したことで“風が揺らす木の葉の環境音に、環七を走るクルマのエグゾーストノイズが、さらに弱音でミックスされたように聞こえた”気がしたこと。

「日常」と「非日常」。「聖なるもの」と「俗なるもの」。「自然」と「人工」。「善」と「悪」。「表」と「裏」...。すべては地続きで実は境界などない。

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説法や過去の作品を振り返ってみると、ホドロフスキーの言葉には、社会通念や一般常識といった観念からの解放、またそれに伴う抑圧され秘められたパワーの放出も示唆しているように感じる。“我々は元来、もっと自由で知的で、自立してお互いの尊厳を支え保つ、愛情に溢れた幸福な生物である”ということを、あらゆる別の言い方や見せ方で教えてくれているように感じるのだ。

昨今の社会情勢は、問題や状況が幾重にも複雑化・多面化していて、直感的な判断を鈍らせている。しかし、最も大切なことや本質的なことは揺るがないはずなのだ。
混迷を極める今。玉石混淆。なにが真実で、なにが虚偽で、なにが現実で、なにがフィクションなのか。全てが等価に存在する今日、それらを見極めるのは自分自身でしかない。その取捨選択はもしかしたら、悟りに近い感覚ではないだろうか?

説法の前に龍雲寺住職・細川晋輔氏は「坐禅とは、何かを得る為のものではなく、何かを捨てる為のもの。人生を文章に例えたなら句読点のようなもの。」と言い切っている。つまり、取捨選択ですら無く捨て切ることで判ることが本質と言ったところか。

「日常」に「非日常」を積極的に取り入れ凝り固まった「現実」を変えていく原動力に変換する。これは坐禅のみならず、ホドロフスキー監督が作品を通して一貫して教えてくれていることだ。氏の作品には、聖と俗が混在し、いかがわしいばかりのバランス感覚と破天荒なパワーに溢れており、そういった氏の作品群が私にとっては重要な活力である。こんな時代のあなたにとっても、氏の待望の新作たちが何かしらの指針のひとつになれば幸いである。

INFORMATION

絶賛上映中。伝説の創られなかった作品の制作秘話
『ホドロフスキーのDUNE』http://www.uplink.co.jp/dune/

ホドロフスキー監督待望の最新作『リアリティのダンス』
http://www.uplink.co.jp/dance/ 7月12日(土)より全国順次公開

PROFILE
アレハンドロ・ホドロフスキー/1929年2月17日、チリのボリビア国境近くの町トコピージャで、ロシア系ユダヤ人の子として生まれる。12歳の時に首都サンティアゴへ移住。サンティアゴ大学で心理学・哲学を学んでいたがマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動し、パントマイムにのめり込んだ後大学を中退。1953年に渡仏し放浪生活を送る中でマルセル・マルソーと出会い、『The Mask』『The Cage』という戯曲を共著、モーリス・シュバリエの芝居を演出した。パリでの学生時代にはトーマス・マン原作で実験映画を一本撮り、ジャン・コクトーに絶賛されたこともある。1960年代中頃に、パリで作家フェルナンド・アラバールを知り、1967年、メキシコに移り、アラバールの原作で処女作『ファンド・アンド・リス』(FANDO Y LIS)を完成。続く1970年に代表作『エル・トポ』(EL TOPO)を発表する。「エル・ジン」というスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系映画館での深夜上映で、噂が噂を呼び大ヒット、映画を観たジョン・レノンが虜になり、『エル・トポ』と次作の『ホーリー・マウンテン』(THE HOLY MOUNTAIN)の配給権を45万ドルで買い取ったという逸話もある。1973年に『ホーリー・マウンテン』を発表。1975年4月まで続くロングランを達成する。1975年、ミシェル・セドゥーのプロデュースによりフランク・ハーバートのSF小説『DUNE』の企画をスタート。イギリスの画家クリス・フォスやフランスのコミック作家メビウス(ジャン・ジロー)、画家でデザイナーのH・R・ギーガー、『ダーク・スター』の特殊効果を担当し、後に『エイリアン』の企画、脚本を手がけたダン・オバノンを特殊効果のスーパーバイザーに配し、ミック・ジャガー、サルバドール・ダリの特別出演もかなったところで、金銭面の問題からプロジェクトが頓挫してしまう。1980年にはインドを舞台にした『TUSK』(日本未公開)を製作するが、映画祭で1,2度上映されただけで、ソフト化もされていない。1989年には、初めて商業映画を意識したという『サンタ・サングレ/聖なる血』を発表。1990年、ピーター・オトゥールとオマー・シャリフ出演のスター大作『The Rainbow Thief』(日本未公開)を発表。1980年以降、バンド・デシネ(フランスのコミック)の原作者としてメビウスと『アンカル』を、フアン・ヒメネスと『メタ・バロンの一族』などを共作。フランスではホドロフスキー原作によるコミックが30シリーズ以上も出版されており、現在も複数のタイトルを並行して書き続けている。また、サイコマジックやタロット・リーディングの活動もしており、毎週水曜、パリのとあるカフェではホドロフスキーによるセラピーを無料で受けられるという。また、「twitterは21世紀の芸術装置だ」と語り、毎日正午から1時間15ツイートすることを日課にしており、『ホドロフスキーの365日ツイッター:知恵編』という書籍も出版されている(以下、「愛編」「政治編」と続刊予定)。2013年、本作『リアリティのダンス』を発表。2014年現在、次回作『フアン・ソロ』の製作準備中。独自の心理療法にも取り組んでいる。