工藤キキの貧乏サヴァラン

vol.02キキと餃子の マリアージュ

文:工藤キキ
ロゴ:石黒景太

「マリアがどこそこの喫茶店の隅に座っているときけば、そこを通る時には百円か二百円をおいていってくれるきょうだいや友人、編集者の数は、少ないがないこともないが、いくら百円二百円でも、そうそうは経済に影響するから、だんだんマリアのいる場所は通らなくなる、というのが、マリアの希望的観測の限界である」
----森茉莉『贅沢貧乏』より


 朝日も差し迫り無礼講となりつつあるクラブのバーカウンターでゾンビさながらで高笑いしているのであれば、キキも心やさしいバーテンダーや友人から一杯ご相伴にあずかれることもなくはない。ただ、泥酔中につきそれを強要したのか、好意なのかが定かではないが、昼頃に目覚めると傍らにはコンビニエンスストアの袋が転がり、中に食べかけの赤飯のおむすびやポリコーン(コーンを膨張させ、砂糖をからめたキキの大好物のお菓子)が入っているなら、キキの泥酔もそこそこだった、ということがうかがえる。

 キキはベジタリアンである。なぜと問われれば、肉食に飽きたと言うしかない。肉は食べなくても、肉エキスが混入しているものが多い日本ではベジタリアンの生活は非常に面倒くさいが、キキは案外面倒くさいことが好きなので、かれこれ5年この生活を楽しんでいる。マシュマロを火であぶると甘く魅惑的な焦げ目がつき、それはかつてキキの好物であったが、マシュマロ(特に舶来物)の品質表示に「ゼラチン(豚)」と大胆に記載されているのを発見。それが肉でも魚でも野菜でもグルメリポートの最上級の褒め言葉といえば、「あっま~い」だが、マシュマロの甘さから豚肉の甘さを感じるほどキキの味覚は敏感でないが、コンビニやスーパーマーケットに行くと、値踏みすると同様に品質表示に睨みをきかせ、しゃがみ込み雑誌の立ち読みさながら品質表示を眺めている。

 ベジタリアンのおかげで空腹だからと無鉄砲に総菜パンや弁当をつかむこともない。焼き肉の誘いに喜ぶこともなく、マックでも、100円たりとも落とさない。赤貧のキキの懐にはやさしい食生活であるが、たまに誘われるギャラリーのオープニングパーティの二次会でお新香しか食べる物がなくても定説「はい、1人2500円也」。したがってオープニングパーティで無料で提供されるワインで気分がゆるんでもキキの財布の紐は固く、まるで次の予定があるかのように逃げ帰っている。

 そんなキキはたいてい自宅で食事を済ませている。友人たちが驚いたメニューに「野菜だけ餃子」がある。具は、キャベツ、ニラ、ネギ、マイタケをみじん切り、ショウガ、ニンニクをおろして、塩を少々、ごま油をまわしかけただけの、シンプルなものだ。餃子といったら豚肉が入っているのが常だが、野菜だけ餃子を試してみると1つわかることがある。餃子における豚肉とは出汁の一種であり、豚肉の肉たる主張はない。我々は、ニラ、ショウガ、ニンニクといった香味野菜の風味と、餃子の皮の焦げと、酢醤油によるマリアージュによって餃子たるものを認識していたこと! と大袈裟に言ってみたとて、その昔にはやった「プリンに醤油をかけたらウニの味がする」に匹敵するようなものでもない。友人には内緒であるが、赤貧のキキだけにドンデン返しが起きるような発明が浮かばないかと密かに心待ちにしている。

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いろいろ試した結果、餃子を上手に焼くコツはフライパン選びなのでは?レミパンは持っていませんが、その昔すき焼き用として使っていた南部鉄のナベを使い始めてから失敗なし。テフロンのスライパンより美味しい気も。

PROFILE

くどう・きき/アートライター。主にアートを媒介としたカルチャーコラムの執筆や展覧会のキュレーションなどを手がける。著書に美術批評集『post no future --未分化のアートピア』(河出書房新社)など。隔月でART ZINE『LET DOWN』もリリースしている。www.letdownmag.blogspot.com そんなわけで、これからも貧乏だけど志だけは少し高い生活臭を紹介していきたいと思います。よろしくお願いします。

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