工藤キキの貧乏サヴァラン

vol.04前略、道の上より。 キキの路上向上委員会

文:工藤キキ ロゴ:石黒景太

「《どうにかなるさ》この言葉はマリアの、根本から出る言葉である。マリアの、を言うと、縦のものを横にもしたくない精神、何もしないで寝ころんで推理小説を読み、食事と間食物の費用を削る心配なく、週刊誌を全部買ってよみ、新聞をもう三種類ふやして七種とってよみ、紅茶を飲み、チョコレエトをかじり、
 ----は自分を高級な人間だと信じていて、だから、週刊誌をみたがるといって自分が低級だとは夢にも思わないのである」
----森茉莉『贅沢貧乏』「マリアはマリア」より


 キキのようなフリーランス、いやフリーターを生業にしていると、平日という概念が一般常識からズレていると思わざるをえない日もある。

 平日の早朝から、グラサンに革ジャン、化粧から足取りから総崩れの友人ヤッコと半目のキキが、酒臭い息を吐きコピー機に並んでいたセーラー服の女子学生に体当たりをしながら、コンビニエンスストアを徘徊する姿は、どの角度から見ても一級の不審者ではある。

「あんなばばあになりたくない」と反面教師になるのは結構だが、コンビニで命からがら水を求めるキキの形相に、貞子か花子さんか?通学途中に怪奇現象に出くわしたようなトラウマを植え付けることになるのなら、街の美観を損ねると指を差されようと、紐の切れたマリオネットのごとく、そこらの路上で寝てくれた方がまだ始末によい。

 ボサボサの髪の下に十三歳の少女の顔がそのままアラフォーになったという素っ頓狂な寝顔をさらし、おだやかな寝息をたてながらベンチでのびているかと思いきや、キキは土手っ腹に食い込む鈍い痛みを抱えていた...「なんなのよ、この柵は!」。

 ある日を境に、公園や駅、路上にあるベンチの真ん中を等分するかのような柵が出現したの、みなさんご存知でした?カップルを引き裂くような、疲れ果て横たわろうとする者に容赦ない鉄拳をいれるかのような、東西に南北を分断するような柵。三人掛けなら三等分。さも最初からついていたかのような面持ちで、突如現れた物体だとキキは断言する。これは一体何用か?プライバシー?マナー?ルール?つーか、キキのような不審者はベンチで横になっちゃダメってか?

 着ているものはセコンドハンド、タクシーは相乗り、が食べているものでもひと口だけご相伴に与りたい食いしん坊のキキが、ベンチだけお一人様分頂いても心苦しい。シェアをするのが当然であるということが、わざわざ、おに柵をつけてまで指導されなくても、幼稚園に通う子どもでも、泥酔してなければキキとて理解ができるのだが......。

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 キキは思い立つと、安売りの布を買い込み、一心不乱に手縫いでズタ袋を縫い上げ、家にあるクッションをすべて詰めこんだ特製の“柵よけ”布団を近所の公園に持ち込み、1ベンチを占拠することで、ベンチ解放運動を寝ながら訴えてみた。

「あのおばさんはしょうがないわ。好きにやらせとけばいいわ」。平日の朝、軽やかな足取りの女子学生が通り過ぎてゆくのを横目に、満足げに無用の長物に寝そべるキキの寝言は、ケセラセラどうにかなるさ。

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ほらみてみてー。どこもついてんだって柵が。ちなみに東京以外の海外の都市でも柵のついたベンチが増加し、路上生活者の排除問題として取りざたされているのだ。ソイヤソイヤ。

PROFILE

くどう・きき/アートライター。主にアートを媒介としたカルチャーコラムの執筆や展覧会のキュレーションなどを手がける。著書に美術批評集『post no future --未分化のアートピア』(河出書房新社)など。隔月でART ZINE『LET DOWN』もリリースしている。www.letdownmag.blogspot.com そんなわけで、これからも貧乏だけど志だけは少し高い生活臭を紹介していきたいと思います。よろしくお願いします。

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