vol.07畳みません、 勝つまでは。キキの震災デモクラシー
文:工藤キキ
ロゴ:石黒景太
「花や硝子に取り囲まれてする空想に我を忘れて、日も夜もないのだから、ハンガアにぶら下がっているスウェータアや、カアデガンは永遠に首吊りの姿勢だし、箪笥の上に載ったのは虫に喰われ放題になる。魔利にもそれらを箪笥に蔵わなくては、という気は起こるが、魔利の場合、実行と思考との間には雲煙万里の距りがある。穴があくと綴くれないから、そっと捨てる。夜更けの十一時四十分頃に魔利の住むアパルトマンの近くを通る人は、かさばった新聞紙を抱えて川辺りの方へ歩いて行く、怪しげな女の影を見るのだ。」
------森茉莉『贅沢貧乏』より
キキがとりわけ嫌いなこと、それは洗濯物を畳むことであった。虫に食われるまでとはいかないが、取り込んだ洗濯物は常時ソファに積み上げられ、その山からパンツをひっぱりだすたびにキキは空想する。洗濯物はすべてクリーニングにだして、洗いから畳みまでやってもらえるサービスに甘んじられる生活がしたい......。実に安っぽい空想だというのはキキとて理解しているが、こんな御時世だからこそ、キキは声を大にして言いたいのであった。
「国の乱れは、心の乱れを生むのです!」
もう箪笥はいらない!これが片付けられない女たちの部屋だ。
震災後の不安定な状況下、キキの5人の友人のうち4人から、事前の打ち合せなしでこのような乱れた写真が集まったことが一体なにを示すのか?もちろん“汚ばさん”であることに変わりはないが、大袈裟にキキは思うのだった。洗濯ものすらロクに片付けられないのも、世の人々が心をかき乱されている表れだと思いませんか?とくに放射能に関する話しは不条理マンガのようである。......もし、外出先で放射線を浴びてしまったら、まずは玄関先で放射性物質を手で払いましょう......。手で、払う......までしか書いてないのだが、手についた放射性物質はどうしたらよいのか?
......室内には汚染された衣服を持ち込まず、ドアの前で服を脱ぎ、ただちにビニール袋に入れて口をしばりましょう......。たいていの放射性物質への注意書きはそこ止まりだ。しばる......しばったら......それから、どした?
で、調べるまでもなく、口をしめたビニールはずっと玄関に置いておくしかないそうです。ゴミに出したら土壌汚染をまねくから焼却すらできない、下水にも流せない。ずっと玄関に、できたら一万光年先ぐらいまで......。その頃になれば大発明が起きるといいなってか?これをシュールな話しと言わずにして何と例えようか。
キキは空想してみた。宇宙へと不法投棄される、白い物体。放射性物質のついた衣服が入った無数のコンビニのビニール袋がぷかぷかと宇宙に浮んでいるというイメージ。シュールだね。とはいえキキがこの空想を楽しんでいるわけではない。
なんで国は、放射能とどう向き合うか個人の判断に委ねるのだろうか?食べ物だって、住む場所だって、仕事だって、国が真摯な判断をするべきだ。あのビニール袋は本当に玄関先に置きっぱなしでいいわけ?引っ越しの時も持ってくわけ?
そんなわけで、超現実とだらしない日常の狭間で、キキの心は錯乱しているが、洗濯物は畳まなくていいのだ。いま乱れないで、いつ乱れるのだ!
くどう・きき/アートライター。主にアートを媒介としたカルチャーコラムの執筆や展覧会のキュレーションなどを手がける。著書に美術批評集『post no future --未分化のアートピア』(河出書房新社)など。隔月でART ZINE『LET DOWN』もリリースしている。www.letdownmag.blogspot.com そんなわけで、これからも貧乏だけど志だけは少し高い生活臭を紹介していきたいと思います。よろしくお願いします。