文:臼井のぞみ、草深早希
REPORT
映画『あえかなる部屋 内藤 礼と、光たち』
公開記念トークイベント監督・中村佑子×脚本家・羽田野直子
現在、公開中の映画『あえかなる部屋 内藤 礼と、光たち』。以前、ecocolo WEBでも取り上げた本作は豊島美術館にある、現代美術家・内藤 礼さんの代表作『母型』を舞台に5人の"あえかなる"女性たちのメッセージを描いたストーリーです。本作の監督を務め、ナレーションとしても参加する映像作家の中村佑子さんへ、脚本家の羽田野直子さんが寄せた1通の手紙。そこには、羽田野さんが紡いだ丁寧な言葉により本作への想いが綴られていました。そんなやりとりがきっかけとなり行なわれた、ふたりのトークイベントを一部抜粋してご紹介します。
中村佑子監督(以下、中村) 羽田野さんに寄せていただいた手紙の中に、「同語反復して"生(せい)の生(なま)の姿"としか言いようのない映像を見ているうちに、いつしか自分も年月を遡り、あの豊島美術館でのたゆとうような時間と向き合っていた」という本作への感想が書かれていました。このコメントを読んだ時、非常に感動し、是非もう少しお話させていただきたいという思いから今回のトークショーをすることになりました。
羽田野直子(以下、羽田野) 中村監督とは、同じ吉祥寺住まいで大学での専攻も同じ哲学ということで、共通項が多く、親しみを感じています。
現代美術家・内藤 礼さんとの出会い
中村 2012年春に現代美術家・内藤 礼さんの作品『母型』に出会い、その年のクリスマスに初めて本人とお会いしました。その後、メールや手紙のやりとりが始まります。取材は、2013年の広島での展覧会から始めました。それは、『ひと』という小さな彫刻シリーズと被爆ガラスを並べた作品の展示です。内藤さんが広島出身というのはプロフィールに書かれていますが、広島を題材にする展覧会は彼女にとって初めての試みでした。カメラは、作品の設置や撤去作業中にも現場で収録していましたが、その一連の作業も作品の一部だと考える内藤さんにとっては、カメラが鏡のように身体を意識させる存在でした。もちろん、中村監督に対しては、始めから人前に自身をさらす方ではないとわかっていながらも、私の知りたいという気持ちとカメラは直結しているので、カメラをモノとしての硬いものではなく、もう少し柔らかいものとして私自身の体の延長みたいに使いたいという思いが私の中にありました。最初は、内藤さんもある程度理解してくださったのですが、結局は最後まで撮影することができませんでした。「撮られると作品を生み出すことが壊れてしまう、失われてしまう」と仰る内藤さんの意思により撮影は一端中断します。
羽田野 それから半年位、悩まれたんですよね?
中村 悩みました。制作を止める理由はほとんど揃っていましたが、私自身は内藤さんの作品に大きく影響を受けていたので、それがこの映画のイメージとして自立していたんです。続けようかどうか悩んだ末にイメージできたのは、女性たちでした。内藤さんの作品から私自身が受け取ったものを別の形で映像にするということをコンセプトにしました。"にじりよる"という言葉を制作中によく使っていて、イメージにひたすらにじりよって、追いかけていました。
あえかなる女性たち
中村 その半年間に内藤さんとは一切連絡を取っていませんでしたが、彼女の作品から受け取ったメッセージを預かったような気持ちでした。その間に、様々な境遇を抱えた5人の女性たちと出会ったんです。この映画は、"あえかなる"みんなの似姿。内藤さんを撮れないことで身体的にもぬけの殻になってしまった私自身の分身かもしれないし......、そこに生身の女性たちがイメージできたという表現がぴったりなんです。
羽田野 登場する彼女たち5人から、生きていく上での迷いや感情の揺らぎを感じます。大きな交通事故に遭って臨死体験のような辛い目を見た大山景子さんからは、その魂が水平線にすーっと光が差すみたいに伸びていく、その瞬間を見れたような気がします。
ドキュメンタリーでもフィクションでもない、新たなジャンルを切り拓く
中村 羽田野さんが手紙の中で「生(せい)の生(なま)の姿としか言いようのない映像」と表現してくださった言葉がすごく心に響いたんです。
羽田野 今回の映画を観て、ドキュメンタリーとフィクションの境目も飛び越えるような、可能性を広げている作品だと思いました。先ほどの大山景子さんから水平線に光が伸びていく瞬間もそうだと思いましたし、そういう部分に「生(せい)の生(なま)の姿」を感じたのかな。だから、この映画にはジャンルの新たな可能性を感じたんですよね。
中村 映画の予告は、ドキュメンタリーなんだけどフィクションのようにも感じられた方もいらっしゃると思うのですが、そもそも私自身はドキュメンタリーとフィクションの垣根みたいなものは感じていないんです。
ありのままに生きる女性たちの姿
中村 作品を観た方に「女性たちの変化がなかった」と、聞かれるんですけど、変化を見せるつもりはないんです。彼女たちが言葉にすることは断片にしか過ぎないんです。日常でもそうだと思うんですけど、他人である私たち同士が会話することはすべて物事の断片だと思います。でも、断片だからこそ、一瞬の共鳴とか共感が奇跡的な瞬間として現れるし、それは根本的な部分での喜びでもあります。本作ではそこに目を向けました。
羽田野 この作品の中でそれは成功していると思います。5人の女性がそれぞれ、葛藤もなく『母型』の中に佇む姿がとっても良いんですよね。だから、「生(せい)の生(なま)の姿」というのはそういうことで、何かを意図してこう見て欲しいということがないんです。
記憶の中に眠る、アクセス権を失くした風景を取り出したい
中村 映像作品を考えたときに、記憶がふと蘇る瞬間を取り出したり、子どもの時に過ごした街の一角を思い出したり、そういうシーンを見せたいと思っています。私たちの中にはアクセス権を失くしたようないつか見たであろう風景が記憶のどこかに眠っているはずで、それを掘り起こすきっかけを与えたいのです。
羽田野 カメラが自分の触覚の代わりだったりする訳ですよね。
中村 そうですね、カメラは銃のように大きくて黒いし、すごく威圧感があって他者性を導いてしまうものですが、違うカタチでカメラを自分の触覚の延長のように使いたいと思っています。アクセス権を失くしたような風景の痕跡だったり、そういうものを映像に求めてるのかもしれないです。
中村 "あえかなる"という言葉には、壊れやすいとか、小さなとか、弱いとか、そういう意味があるんです。私は吉祥寺から中央線に乗って仕事に行く時、新宿のビル街が見えてくるとそれがもうビュンビュン回る大縄跳びみたいに見えるんですよね。「この中に入れるかな」とか思ったりして、ふと逃げ出したくなる時もあります。私の回りでも、東京を離れることにしたり、仕事で体を壊したりする人がすごく多いんですよ。テレビを見ていても、戦争や中東問題のような乱雑さや乱暴さが目に触れる瞬間が増えましたよね。本当だったら子どもには見せたくない光景が増えてきたことにずっと危機感がありました。本作は、本当に大切なものが失われないよう感覚を保存したい、脱落してしまった人たちに見せたい「声にならない声」を撮ってる映画です。そういう人たちにも観てもらいたいなと思っています。
INFORMATION
映画『あえかなる部屋 内藤 礼と、光たち』
監督:中村佑子出演:内藤礼、谷口蘭、湯川ひな、大山景子、沼倉信子、田中恭子
制作・配給:テレビマンユニオン
WEB:aekanaru-movie.com
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
中村佑子(なかむら・ゆうこ)/映像作家。1977年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。人文系の編集者を経て、2004年、㈱テレビマンユニオン参加。NHK、WOWOWのドキュメンタリー番組のディレクター、プロデューサーを務める。WOWOWの放映番組として制作した『はじまりの記憶 杉本博司』が2011年国際エミー賞・アート部門にノミネートされる。
羽田野直子(はたの・なおこ)/脚本家。映画の脚本やプロデュースをする傍ら、2014年に閉館した吉祥寺「バウスシアター再生計画」の発起人代表として、吉祥寺に新しい仕組みの映画館を作るべく奮闘中。